神様と両想い💛

友人に聞かれた。
「どうして毎週教会へ行くの?」

そんなこと考えたことなかったからうまく説明できなかった。

分からないんじゃなくて
分かってるけどうまく言葉にできなくて
もどかしい感じ。

かおり先生に聞いてみた。

そしたらかおり先生は
「神様が招いて下さってるから」って。

シンプルだな。とっても分かりやすい。

今度聞かれたらそう言おうと思った。


今週のメッセージ「ただひとつの問い」

神様が私のことを愛してくださってることは知ってた。
それもとんでもなく愛してくださってるってこと。でも・・・

私は?
はたして神様を愛してるんだろうか?
これもまた そんな風に考えたことなかった。

だけど 気が付いた。
『愛する天の神様…』でお祈りを始めてること。

それからは心をこめて意識して『愛する主なる神様…』ってお祈りを始めてる。
どうしてって、気が付いたから。

私も神様を愛してる。 

愛してくださる神様からの そして愛する神様からの招き。

そっか・・・だから教会へ行くのか。
うん、間違いない。
だって
両想いの神様からのお誘いを受けない理由が無い( *´艸`)


『あなたは私を愛しているか?』
ただひとつの神様からの問いに
毎日きちんとこたえることができますように。
こうして祈るのも
私たち人間を一人残らず、とんでもなく愛してくださってる神様に向かって。
そして愛する神様に向かって。

                          主にありて  S





召天者記念礼拝

今週は召天者記念礼拝でした。
書いて字のごとく、先に天に召された方々を覚える礼拝です。
ご家族の方々がたくさんお見えになられて、
普段より会堂が幾分狭く感じられ、嬉しい日でもありました。

お写真が載せられないのが残念でもありますが
毎年この日には 会堂の前にテーブルを置き 
召天者のお写真を並べます。

懐かしい知ったお顔が並んでいた中で
一番右の端っこに、見慣れない一枚の写真にお気付きになられましたでしょうか?
何人かの方が「誰?」って聞いて下さったのでお答えしましたが
実は私の父です。もう11年になります。58歳でした。

父は実家の近くの教会の会員でしたので、桔梗が丘ルーテル教会の方々には面識がないものですから毎年写真を並べることはしてませんでした。
去年から前でお名前を読んでいただけるようになり、こっそりと
持っていた父の写真をパワーポイントの机の上に出しておりました。
今年はその写真にかおり先生が気付いてくれたらしく
ご自分が持っている写真立てを持って来てくださいました。ありがとうございます。
(ちょっと恥ずかしかったんですが・・・思い切って並べさせていただきました。
どうして恥ずかしかったかって、皆さんのお写真はとってもきちんとしてらっしゃるのに対して私が持っている父の写真はとってもリラックスしてソファで肘をついて笑ってる写真だったからです。この写真の父の顔が気に入ってて実家からもらった写真です)

皆さんの写真と一緒に並べさせてもらって なんだかとっても嬉しくなりました。
たくさんの召天者の方々と共に神様のもとできっと写真のように笑ってくれてることでしょう。

自他ともに認めるファザコンでしたので、父に病が見つかったときは
まさか何かの間違いだと思い、間違いじゃないと分かったときには
どうして自分の父にこんなことが起こるんだと苛立ち、神様に食い掛かりました。

でも神様 あなたは父を通して本当にたくさんのことを私に、家族の一人一人にも
教えてくださいました。今はそのひとつひとつを大切にしながら生かされていると感じています。

私たち家族は父に連れられて教会へ行きました。
実家には仏壇のあった父に、です。
本当に神様のなさることは時に考えられないようなことです。
父に何があったのか今となっては知ることもできませんが
天国でいつか父に聞いてみたいことのひとつです。
「お父さん、教会へ行こうと思ったのはどうして?」 
答えが楽しみでもあります(笑)
そして大好きな父にまた必ず会えるという約束をいただけてることは本当に心強く
感謝と共に、体中にPOWERが湧いてくるような感じさえします。

その父と同じように教会学校のお手伝いをさせてもらえてることは
不思議な気がするのと同時に本当に嬉しいことです。感謝。


召天者のご家族の皆様お一人お一人が様々な想いを抱かれながらの一日を
一緒に過ごさせていただきました。ありがとうございました。

                          斎藤佳子















美杉ルーテル教会の礼拝

先日の日曜日、15:00からの美杉教会の礼拝に行ってきました。
山間のとても素敵な教会です。

集う方々は決して多くはありません。
けれども長い間、毎週礼拝を守られ今日があります。

大きな催しや、立派な教会堂があるわけでもありません。
けれども、集うお一人お一人の静かで揺れ動くことない神様への信仰があります。

パイプオルガンも、ピアノもありません。
小さな電子ピアノとヒムプレーヤーがあるだけです。
けれども、そこには心からの神様への賛美があります。

小さな小さな教会です。
けれども、大きな大きな神様の恵みが注がれている教会です。

神様。美杉教会から溢れ出る、あなたの愛を教えて下さり感謝します。




開かれている扉

開かれている間にどうぞって
大切な人たちに伝えたいですね。
その大切な人にも大切な人がいるはず。
そうやって どんどんどんどんいっぱ〜〜〜いの人たちが
開かれた扉の中に入ってくれるといいな。

いつまでも開いてるわけじゃないから
開いてる間に。
間に合ううちに。

神様、今日も明日も明後日も
大切な人にあなたからの愛を伝えられますように。
どうか私たち一人一人に勇気と力と知恵を備えててください。
そして私たちがあなたのことを語るときに一緒にいてくださること、感謝します。

二週間ぶりの教会はやっぱりあったかくて大好き。
今日も教会へ導いて下さり心から感謝します。

様々な事情で 教会へ来られなかった人たちにも
あなたから大きな恵みがありますように。

                            (S)

                      

できるかな ではなくて。

まず、やってみよう。
テリー先生の話を聞いて そう思った。

私はある問題に直面していた。
その中で 恐れ、もがき、自分が何をするべきなのかと
そのことに心を囚われてばかりいた。
神様に「答えを下さい」と祈っていた。

今日のテリー先生の話の中に答えを頂いた気がした。

何度でも赦す。
本気で悔い改めるなら何度でも赦す。

あなたに赦されているのに その私がゆるせない人がいるのは
あまりにも酷い話です。

できるかな・・・
でも やってみよう。
祈って。

ゆるせるかな・・・
でも まずやってみよう。
委ねて。                      (S)


心騒ぐ時。

クリスチャンだってあります。
神様の大きな愛に包まれてるのに、守られてるのに
これだけ愛されてるにもかかわらず
ふと不安になること、心配でたまらなくなること、
そわそわと落ち着かないこと・・・。
あります。
祈ろうと思っても どうやって祈れば良いのかさえ分からなくて
ただただ沈む気持ちと闘ってみるけど 勝てなくて。

水曜日の祈祷会の時に こんな御言葉をいただきました。
ヨシュア記1章9節
「わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。
 うろたえてはならない。おののいてはならない。
 あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」


感謝です。

そして礼拝で 今度は
ヨハネによる福音書14章27節
「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。
 わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。
 心を騒がせるな。おびえるな。」

と、今度は平和をいただきました。
しかもこの平和は、
何を持ってしても決して奪い去られることの出来ない平和ですって!

心の騒ぎがすっかりおさまりました。
神様、弱い私をお赦しください。

説教の中にありました。
主、ご自身が罪と死を引き受けて下さったのだと。
主、ご自身が心騒がしてまでたたかってくださったのだと。
そして「あなたがたはもう心騒がせなくていい」とおっしゃって下さってるのだと。

心強くてたまりません。
感謝します。 (S)




開けたことの無い箇所

ハバクク書ってどこだっけ???
まずはそう思いました。
聞いたことはあるけど、もしかして読んだことないかも泣き
でも、覚えてました。
子どものころに聖書箇所を覚えられるような歌、習いましたよね?
onpu03な〜ほむ はばくく ぜぱはがい〜onpu03って。
それで聞いたことあったのかな?
子どものころの記憶ってすごいですね手
改めて教会学校の大切さを痛感します。

さておき
素晴らしかったですね。
神様との対話。そして神様への絶大なる信頼。
預言者だけにじゃありません。
神様は私達が呼べば、いいえ 呼ぶ前からその声を知り、
祈る前からその祈りもご存知なのです。
そして答えてくださらないのではなく
答えをくださる最高のその時まで『待て』と そうおっしゃるのです。
そして、その時を約束くださってます。
何という恵み。平安。そして感謝。

サンデ・レイ子氏が 「一生感謝」という本を読まれてから
吸い込まれたとおっしゃっていたハバクク書。
ハバククが好きになられたともおっしゃっていました。
そのお話をうかがいつつの聖書は いつもと違うようでした。
時々はあんなふうに聖書を読めるといいなちゅん

『一生感謝』はキリスト教書店にてお買い求めいただけます。
(S)




証しと奨励

本日の礼拝の中で

N兄の証し


そしてノルウェーからこちらへいらしてる H姉の奨励。

隣りで通訳は、言わずと知れた我がルーテル教会の山岡牧師。

いや〜N兄、初めての証しとは思えないほどの堂々っぷりに
聞き入ってしまいましたね〜手
実は、先月の河芸での信徒の会に出席した人が順番で 礼拝の中での
少しの時間を頂いて証しをすることになりまして 今回のN兄が最後でした。
証しの中で N兄いわく「一番乗り気じゃなかった」ということでしたが
何をおっしゃいますやら!!!
身体全体を使って、はっきりとした聞き取りやすい声で、
目線も下へ落とすのは本当にわずかな時間、しっかりと皆さんの方へ向いていたし
ちゃっかり笑いも交えながらで 内容も含めて本当に素敵な証しでした。
ありがとうございました。

N兄の証しの後、H姉の奨励へと続きました。
クリスチャンホームで育った彼女の信仰は
「静かに 大人の信仰へと変わっていった」そうです。
素晴らしいですね。平安の中にあって本当に恵みだと思います。
信仰の形は様々でも 神様はひとつ。
それぞれに神様が用意された信仰生活をそれぞれが歩いていくことでしょう。
そして彼女が言ってました。
「神様から離れて、自分の思いで行動することが多くなる」
だからタイトルには「毎日神様を選択する」となっていたのですね。
大変共感致しました。
朝祈っても、本当に素晴らしくその後すぐにでも 私の頭の中、心の中では
むくむくと自己が大きくなります。情けないことです。
(もし私の場合、タイトルをつけるならば 
『毎日』を『一瞬一瞬』に変えた方がいいかも泣き
でも、情けない私だからこそ、弱い人間だからこそ
神様は片時も私達から目を離さずに居てくださるのだと確信します。
「神様」とお呼びする前から
私達が祈るそのずっと前から、神様はもうすでにその祈りをご存知です。
だって、片時も離れず、私達とともにいて下さるんですもの。
愛されてます、私達。嬉しい限り、心強い限りです。

感謝します。

祈祷会

クリスチャンホームで育ったから
小さい頃から教会へは行っていた。
だから、イエスキリストが十字架にかかって
私達の罪のために死んでくださったということは知っていた。
だから今は恵みの時で『信じるだけで救われる』ということも知っていた。

でも、昨日の祈祷会でK姉が
「私の罪がイエス様の頬を平手で打ち私の罪が十字架につけ
私の罪がイエス様のわき腹を刺してしまった」と祈られた時から
涙が止まらなくなった。
何て残酷。

今まで私は罪が赦されることばかりに重点を置いてたのではないだろうか。
罪がどれだけ残酷なのかについては あまり考えてこなかった。
頭では分かってたつもりでいた。
でも、それに向き合っては来なかった。
あろうことか「人間は生まれながらに罪深き」というところで
生まれたての赤ちゃんに何の罪が?とさえ感じていた。

神様が、愛する御子イエスキリストを一瞬でもお見捨てにならなければいけなかった
その思いは計り知れない。
そこまでして愛してもらってるのか。
そこまでしても救いたいと思ってくださったのかと。

よく読んできた。
昔からよく読んできた聖書箇所。
イエス様が十字架につけられるまで。

初めて胸が締め付けられた。
私の頭じゃなくて、心が理解したんだと思う。

あなたを十字架につけてしまって本当にごめんなさい。
そして
十字架に掛かって下さって本当にありがとうございます。
復活祭は、また特別になりそうです。
感謝して。                               (S)


大人のキャンプ♪

マリーナ河芸をたっぷり紹介したので
今度はそこで何が行われたのかをお知らせしなくてはあ
分かりやすく言うと『大人のキャンプ』です。
高校生キャンプに参加してからもう本当に長らく、教会でのキャンプに
参加出来ずにいた私にとっては、最高のイベントでした矢印上感謝お願い
中でも、グループに分かれての信徒同士のセッション、(こういうの待ってました!)
私個人的には 本当に新鮮で・・・
思わず、若かりし頃の教会キャンプのことを思い出しました。

それぞれが自分の好きな聖書箇所を選び、それについての自分の思いを
語り合います。制限時間は10分。
年齢も教会も違うグループの中でしたが、クリスチャンというベースの元
いろいろな思いを語り合いました。
そして、聞く側にもその感想や気持ちを話す時間を頂きます。
普段は礼拝で 牧師先生を通じてのメッセージを聞きますが
信徒同士の信仰や神様とのつながりなどをゆっくり話す機会ってあんまりなくて
だからこそ新鮮だったのかもしれません。
共感したり感動したり、知らない人同士でもクリスチャン同士なんだなって
嬉しかったです。

教会の数に対して 牧師先生の数が足りないことは皆様もよくご存知かと思います。
牧師先生のお留守を守ることは信徒の役目です。
信徒がメッセージをすることは奨励というそうです。
そういうことが出来るのですね。
そりゃそうですね。だって神様の御許に集まってくる信徒に対して
「今日は牧師が居ないから、お話はありません」なんて
神様がおっしゃるわけがありませんものね。

先日私が礼拝の中で少しお時間を頂きましたのは 証し です。
証しと奨励、違うようで違わないそうです。
どちらの場合も神様からのメッセージをお届けするお手伝いとしては
そうなのかなと思いました。
自分で「上手だった」「下手だった」という評価も不要だそう。
神様からのご指名を頂き、礼拝の中での時間を頂くのです。
そのままの結果で神様には100%。
神様のなさることですものちゅん

たくさんの人前で話すのに 相変わらず声がうわずりましたが、
胸を張って話せたと思います。神様感謝します。
そしてこれからも機会があればどんどん みなさんの証しを聞いてみたい
そう強く思いました。
信徒同士のつながり、 より一層のものになることを願ってやみません。

最後は起立!の号令も無いのに みんな立ち上がっての賛美。

手拍子しながら(音がお伝えできないのがとても残念ですが)の大合唱onpu03
楽器で声で 盛り上げてくれた青年会のメンバーはこの三人!

あ〜あ・・・またサイズが大き過ぎてる・・・
スライドしてご覧くださいね。
K姉とお兄さんの学氏。ピアノは河芸教会のK兄です。

もちろん〜素敵な賛美、桔梗が丘にも持って帰ってきましたからき
来週の賛美礼拝はご期待くださいませ手

最後に全員集合の写真は下のロビーで。

またお会いできますように・・・heart


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    (近畿福音ルーテル桔梗が丘教会)
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