11月のみ言葉

互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。          
                 (ローマの信徒への手紙 13章8節)


              「愛の貸し借り」

 私は、田舎の中学を卒業した15歳のとき大阪に出てきました。もう50年も昔の話です。理容師の見習いとしてある店で住み込みで働いていました。その店の主人は新入りの私たちに、「互いに金の貸し借りだけは絶対にしてはいけない」と語りました。俗に「借りるときは貸主の顔が仏に見えるが、返すときは鬼の顔になる」と言われるように、金の貸し借りによって人間関係が崩れ、壊れてしまうということはよくあることなのです。それゆえ、職場の中での金の貸し借りはしてはならないと厳しく戒められたのです。

 ローマ 13章8節のみ言葉は、新改訳聖書が、だいたい原文に忠実に訳しているとされています。新改訳では、「だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です」となっています。どんなことにも貸し借りがあってはならないが、「愛し合う」ということだけは別であるとパウロは語っているのです。借金が人間関係をだめにしてしまうことがあり、生活を壊してしまうということがあります。しかし、「愛は隣り人に害を加えません」(10節・口語訳)とパウロは語っています。

 マタイ18章21〜35節には、主イエス・キリストによってあらわされた神の愛について主イエスさまがたとえをもって語っておられます(『仲間を赦さない家来』のたとえ)。そこでは主イエスさまの十字架の愛によって赦された私たちの罪が、1万タラントンというとてつもなく大きな借金として語られています。とても返済することのできない借金を、神はすべて御子イエスによって赦し、チャラにしてくださいました。主イエスさまは、それをすべて返済しなさいと要求しておられません。それゆえ、「あなたがたも、互いに赦し合え、愛し合え」と語っておられます。ある宣教師は、「愛し合う」ということを説明して、それは「尊敬し合うこと」「励まし合うこと」「感謝し合うこと」「赦し合うこと」であると説明しています。分かりやすい表現だと思います。

 愛の貸し借りは決して返済を強要されるものではありません。だからこそ、愛の貸し借りだけは大いにしなさいとパウロは語っているのです。返済を求めるところに愛の崩れが生じます。「こんなにしてあげたのに‥‥‥」、「わたしはこんなに愛しているのに‥‥‥」などと言って返済を求めるなら、“愛”は“愛”でなくなってしまいます。あるいは、「これで、あの人に対する借りはすべて返してしまった」などと言うこともできません。そんなことはできるはずがないのに、もし、返してしまったと思うなら、その時、互いの関係はそこで断ち切られてしまいます。愛の負債、負い目を互いに負い続けるところに、ほんとうの愛の関係が保たれるのでしょう。
もちろん、借りたものは返したいという思いは当然出てきます。そのときは、喜んで返そうとすればよいのです。さらには他の人たちにその愛を分けたらよいのだと思います。しかし、決して強要されるものではありません。互いが、愛を貸して返済を求めず、愛をすなおに借りて喜ぶ。それこそが、「律法を全うする」(8節)ことであり、神の恵みに応えることなのです。                      (牧師 屼ノ下照光)

関連する記事

TOPへ


  • 教会のご案内

    桔梗が丘ルーテル教会

    (近畿福音ルーテル桔梗が丘教会)
    牧師 : 屼ノ下 照光
       〈はげのした てるみつ〉

    神の栄光をたたえて生きる

    桔梗が丘ルーテル教会
  • 記事のページ内表示件数

    記事のテーマ別

    記事の月別アーカイブ

    calendar

    S M T W T F S
        123
    45678910
    11121314151617
    18192021222324
    25262728   
    << February 2018 >>

    links

    Booklog

    Weekly Schedule

    関連情報

    にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 名張情報へにほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへにほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ
    Google


    mobile<携帯サイトQRコード>

    qrcode