7月の御言葉

涸れた谷に鹿が水を求めるように
神よ、わたしの魂はあなたを求める。
神に、命の神に、わたしの魂は渇く。
いつ御前に出て、神の御顔を仰ぐことができるのか。
昼も夜も、わたしの糧は涙ばかり。
人は絶え間なく言う
「お前の神はどこにいる」と。
わたしは魂を注ぎ出し、思い起こす。
喜び歌い感謝をささげる声の中を、祭りに集う人の群れと共に進み
神の家に入り、ひれ伏したことを。
なぜうなだれるのか、わたしの魂よ
なぜ呻くのか。
神を待ち望め。
わたしはなお告白しよう
「御顔こそ、わたしの救い」と。
わたしの神よ。          (詩編 42編2〜7節)



                神を待ち望め 
            
 ある日曜日の午後、美杉教会に向かって車を走らせていたとき、二頭の鹿が道路沿いの川におりていくのを見ました。そのとき、私は、この詩編42編のみ言葉を思い起こしました。
 詩編は、いにしえの信仰者たちの心の深いところからの祈りです。そこには、神さまへの賛美や感謝、神の救いや憐れみを求める魂の奧から絞り出すような呻きや叫び、また、神への強烈な訴えなど、実に、人間の正直で率直な思いが表されています。私は、詩編を用いて、私の祈りとして、神さまに私の思いや願いを訴えることがあります。
この詩編42編は、「嘆きの歌」というジャンルに含まれるものです。この詩人は、非常に大きな苦しみ、または、悲嘆を経験しているようです。そのうえに周囲からは、「お前の神はどこにいるのか?お前を助けてくれる神はいないのか」という、心ない言葉を浴びせられていました。その苦しみの中で、彼は嘆きながらも、主なる神さまに、自分の思いを訴え続けているのです。彼は「涸れた谷に水を求める鹿のように、神を求めている」と、その心の奥深いところからの訴えを表現しています。厳しい苦しみの中でこの詩人は、信仰の友、仲間たちと共に、神の家(神殿)において、感謝と賛美をささげた祭り、礼拝を思い起こしています。
 そして、自分の魂に向かって次のように歌っています。「なぜうなだれるのか、わたしの魂よ / なぜ呻くのか / 神を待ち望め / わたしはなお告白しよう / 「御顔こそ、わたしの救い」と / わたしの神よ」。42編と43編は、もともと一つの詩であるといわれていますが、そこではこのフレーズが3回繰り返されています。
厳しい状況の中で、この詩人は、彼自身に向かって、「神を待ち望め、御顔こそ私の救い」という信仰を与えられて、神さまを賛美しているのです。
 もうどうすることもできないというような苦しみの中で、神さまを待ち望むことができる人はさいわいです。私たちもまた、この詩人が歌っているように、兄弟姉妹たちと共に喜び歌い感謝をささげる礼拝の場が与えられており、共に神を待ち望むものとされています。そのことを感謝しましょう。                牧師:屼ノ下照光

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