3月の御言葉

悲しむ人々は、幸いである、
 その人たちは慰められる。
   (マタイによる福音書 5章 4節)

慰 め                   牧師:屼ノ下照光
私が担当している松阪ルーテル教会では、月一回、「詩画と聖書に親しむ会」が開催されています。毎回、星野富弘さんの詩画の一編を選んで鑑賞し、参加者が互いに感想などを述べ合い、また、聖書のみ言葉を聞いています。
今年、2月の「詩画と聖書に親しむ会」では、クリスマスローズのきれいな絵にそえて、次のような詩がありました。
      悲しい時に
      悲しめる 心を持っている
      あふれ出る 涙がある
      なんという 慰めだろう
クリスマスローズの花言葉のひとつに、「慰め」があります。この花言葉を知って、星野さんがクリスマスローズの絵に、なぜこのような詩をそえられたかが納得できました。
私は、この詩に触れて、イエスさまが語られたみ言葉を思い起こしました。
「悲しむ人々は、幸いである、
         その人たちは慰められる」 (マタイによる福音書 5章 4節)
私たちは、生きている中で、さまざまな悲しみや嘆きを経験します。そのような「悲しむ者」は幸いであるとイエスさまは語っておられます。たいへん不思議な言葉です。「慰める」と訳されているギリシア語「パラカレオー」という言葉には、「招く」、「呼び寄せる」という意味があります。悲しむ人々こそが、神さまに呼び寄せられ、招き入れられて、包み込まれるというような印象の言葉ではないでしょうか。「悲しむ」というギリシア語「ペンソウ」という言葉には、「嘆く」、「死を悼む」という意味もあります。愛する者の死は、悲しみの極みです。その悲しみの極みの中にある人々にイエスさまは、「悲しむ人々は幸いである、その人たちは慰められる」と語っておられます。ある女性のご召天50日の記念の祈りの時、私は、ご遺族の方々にこのイエスさまのみ言葉を紹介して、「不思議な言葉ですが、ほんとうに深く悲しむところでしか得られない慰めがあるのではないかと思います」とお話させていただきました。愛する者の死は、確かに悲しみの極みですが、キリストの復活に与る信仰者は、死のかなたにも、キリストと共に永遠に生きるという希望が与えられています。その希望のゆえに、私たちは、愛する人との別れにおいて、深く深く悲しみ、涙を流してよいのです。その悲しみの極みにおいてこそ、主イエス・キリストは、悲しむ者を、そのふところに呼び寄せ、しっかりと抱きとめてくださるのです。
星野富弘さんの、このクリスマスローズに寄せた詩は、悲しみや涙について、私たちの心を新たに開かせてくれる言葉のように思いました。「悲しむことができる」、「涙をながすことができる」そのことこそが慰めであると語られています。私は、「悲しむ人々は幸いである、その人たちは慰められる」と語られたイエスさまの愛の御心を、しっかりととらえておられる星野さんに、深い感動をおぼえました。私自身、星野さんのこの詩に触れて、あらためて、イエスさまのみ言葉の深みに触れる思いがしました。この詩に触れることができたことを感謝しています。

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