5月の御言葉

女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。
母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。
たとえ、女たちが忘れようとも
わたしがあなたを忘れることは決してない。

           (イザヤ書 49章15節)

母の日                   牧師:屼ノ下照光
5月12日(日)は、桔梗が丘ルーテル教会のバザー「ルーテル・マルシェ」です。お友だち、近所の方々を誘って教会においでください。
5月第2日曜日のこの日は「母の日」です。「母の日」は、1908年、アメリカの教会で始まりました。ウェストヴァージニア州にアンナ・マリア・リーヴス・ジャーヴィスという女性がいました。彼女は教会学校で奉仕しながら、すべての母親を讃える特別な日の制定を望みながら亡くなりました。彼女の娘アンナ(母親と同名)は、母親の遺志を継いで地道な運動を重ね、1908年5月10日に、教会において「すべての母親に感謝する礼拝」が行なわれました。この日は、彼女の母親の命日にいちばん近い日曜日でした。娘アンナは、この礼拝に出席する人たちのために500本の白いカーネーションを用意しました。それは、母親の好きな花でした。それは、母親の愛の美しさ、純粋さ、忍耐強さを象徴しているとされています。1914年には、アメリカの議会において、5月第二日曜日を「母の日」とすることが決められました。ちなみに、日本でのはじめての「母の日」は、1922年(12年)です。
ある牧師さんがこのように語っていました。
「聖書には、『右の頬を打たれたら、左の頬も向けなさい』とか、『下着を取ろうとする者には上着も取らせなさい』という、よく知られた主イエスの教えがあります。これらの教えを守れる人はだれもいない。いるとすれば、それは母親だけである」。
また、他の牧師さんは、自分のお母さんについて次のように語っています。彼のお母さんは終戦後の食料不足の時、自分は食べないで彼と妹さんに食べさせて亡くなってしまわれたそうです。
「そのようにして、母が亡くなったことは、ずっと後に、母の友人から聞いたことでしたが、それを聞いた時、わたしはこう思いました。『ああそうか、母ちゃんは、子どもはまた産めばいいと言って自分が助かってもよかったのに、そうしないで死んでくれたんだ。それで、おれが生きたんだな。この命はかあちゃんのおかげなんだ』。わたしはいつまでもこのことを忘れません」。
食べるものも食べないで子どもに食べさせるとか、夜中に一睡もすることなく、病気の子供を看病するといったお母さんの姿を、私たちも見てきたのではないでしょうか。私自身も母親を亡くしてからずいぶんと年月を経ましたが、母親を思い起こすと、胸が熱くなります。私は、15歳の時からずっと母親と離れて歩んできましたが、それでも、母親の優しさや温かさ、そして、ほろ苦い思い出など、いくらでも思い起こすことができます。
イザヤ書49章15節のみ言葉に、私はいつも深い感動を覚えます。「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか」。母親が我が子を忘れるなどあり得ないことだと語られています。そして、主なる神さまは、続いて、「たとえ、女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない」と語っておられます。
 『母の日』にあたり、それぞれの母親への感謝をあらわしたいと思います。そして、母親の愛にもまさるまことの愛をもって、大切な母親を与えてくださった主なる神さまに、深い感謝と賛美をあらわしたいと思います。


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