世にあって星のように輝く
イエス様は、十字架への道を歩み始められる最後の時期に弟子たちに別れの説教
をされ、祈られました。その祈りの中で、父なる神様にイエス様は「世から選び出してわたしに与えてくださった人々に、わたしは御名を現しました。」とおっしゃいました。私たちはこの世から選び出され、神様の子どもとされるという大きな特権と恵みに与っているのです。しかし、私たちは、現実にはクリスチャンになった後もこの世から離れて生活しているわけではありません。どっぷりとこの世の中に生きています。
価値観、判断基準、物の見方は、この世からの影響を毎日受け続けています。そして、古い罪は、いつもいつも私たちの中で死なないで活発に働いています。もしも、私たちが、この世からの攻撃に無防備に生きていたら、すぐにキリストのものとされた恵みから離れてしまいます。
パウロは、エフェソ書の中でこの世の霊との戦いについて、「立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。」と勧めています。どのような時も、私たちは、この世の霊に導かれるのではなく、神様の霊に導かれて、祈り、聖書のみ言葉から力と知恵を頂き、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容な心を神様からいただきながら、歩んでいきたいものです。
この世にあって星のようにイエス様の光を反射しながら、輝きたいと願います。
をされ、祈られました。その祈りの中で、父なる神様にイエス様は「世から選び出してわたしに与えてくださった人々に、わたしは御名を現しました。」とおっしゃいました。私たちはこの世から選び出され、神様の子どもとされるという大きな特権と恵みに与っているのです。しかし、私たちは、現実にはクリスチャンになった後もこの世から離れて生活しているわけではありません。どっぷりとこの世の中に生きています。
価値観、判断基準、物の見方は、この世からの影響を毎日受け続けています。そして、古い罪は、いつもいつも私たちの中で死なないで活発に働いています。もしも、私たちが、この世からの攻撃に無防備に生きていたら、すぐにキリストのものとされた恵みから離れてしまいます。
パウロは、エフェソ書の中でこの世の霊との戦いについて、「立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。」と勧めています。どのような時も、私たちは、この世の霊に導かれるのではなく、神様の霊に導かれて、祈り、聖書のみ言葉から力と知恵を頂き、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容な心を神様からいただきながら、歩んでいきたいものです。
この世にあって星のようにイエス様の光を反射しながら、輝きたいと願います。
- 2010.08.23 Monday
- 牧師から
- by 桔梗が丘ルーテル教会