あけましておめでとうございます

「 新しく創造された者 」                     山岡由紀子牧師

 昨年を振り返ると、本当に悲しくつらいことの多い年でしたね。年が変わっただけで山積している日本や世界の問題は、解決されるわけではありません。私たち一人一人も、年が新しくなったからと言って、私たち自身は新しくなるわけではなく、反対に年を重ねて古くなって行きます。

 しかし、私たちは、皆新しくなりたい、という願望を持っています。新年にあたっては、箸や歯ブラシや、ある人は、下着までも新しいものに変える人もいます。自分は新しくなれないけれど、新しいものを手にする事によって、気持ちを新たにするということでしょうか。

 しかし、パウロは、私たちの年齢の老若とは関係なく、人間は誰でもキリストに結ばれる人は、新しく神様によって創造された者である、と言います。これこそ、福音でなくて、何でしょうか。自分よりずっとお年を召されたクリスチャンが、生き生きと教会生活をされている姿を見ると、自分もその人のようになりたいと思います。また、お身体もおもわしくなく、病弱であっても、前向きに目的を持って感謝し、期待し、喜びを持って生活しておられるクリスチャンに出会うと、反対に励まされるのです。大切な事は、その人がキリストに結ばれているかどうか、この一点にかかっているのです。

新年を迎える時も、ほんとうの意味で、古い自分をイエス様と共に十字架につけてしまって、新しい年に入って行くことができます。そして、イエス様が死からよみがえられたように、私たちもイエス様と結ばれ、イエス様の復活に共に与かることができるのです。悲しみも、疑いも、重荷も、罪も全てイエス様が取り去って、ご自分の肩の上に置いて引き受けて下さったのですから、私たちは、いつまでも古い傷を引きずる必要はないのです。

 2012年に入ったばかりで、これから全て真っ白なキャンパスに思い思いの絵を描いて行きます。ひとりでは、その絵筆はとんでもないところに走り出すかもしれません。イエス様にしっかりと絵筆を握っていただいて、神様が私たち一人一人を通して描こうとされている絵を新しいキャンパスの上に描いて行く一年でありたいと思います。お一人お一人の上に神様の豊かな祝福がありますように。
2012年元旦礼拝
2012年元旦礼拝にて

喜びに変わる

牧師 山岡由紀子 
9月に入って教会では、先ず敬老の交わり家族礼拝があります。その為に教会のオリーブの会の人たちは、招待状を出し、又手渡し、当日の食事やテーブルの準備の打ち合わせをしてきました。当日の交わり会で今年は大正琴と共に、歌って下さるグループの方々は8月中何度も教会で歌の練習を重ねて来られました。一年に一度高齢の方々を特に覚え、礼拝と交わりを持つことが出来ますのは、本当に嬉しい事です。
長い人生を生きてこられたからこそ、人々に祝っていただけるわけですが、人はそれぞれの人生で、楽しいことばかりではありません。子どもも、若い人も、年寄りも苦しい事、つらいこと、悲しいことを避けて通ることはできません。 イエス様は「 あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。 」とおっしゃいます。これを知っているかどうかで、私たちの人生は大きく違ってきます。イエス様は、十字架に架かられ、弟子たちは自分たちだけで取り残され、生きる希望を失ってしまいました。どん底に突き落とされたような大きな悲しみでした。しかし、イエス様は、死の後で死から復活され、弟子たちの悲しみは喜びに変わりました。
十字架の死は、勝利を意味していました。悪魔は、イエス様が十字架で全人類の罪を背負って神様の罰をご自分の身をもって償い、贖う事を何とか阻止しようとしましたが失敗し、イエス様は父なる神様の計画を成し遂げられたのです。だからこそ、イエス様の苦しみ、弟子たちの悲しみは、イエス様の復活によって喜びに変えられたのです。イエス様の復活は、死への勝利を意味するのです。
私たちが、イエス様を信じ、イエス様につながって生きる時、イエス様が十字架を通って復活されたように、弟子たちがどん底の悲しみから喜びを味わったように、私たちのどんな悲しみも喜びに変わるのです。そう約束されているのです。
罪赦され、神の子とされ、永遠の命を頂いてある今を感謝!
ハレルヤ!

世にあって星のように輝く

 イエス様は、十字架への道を歩み始められる最後の時期に弟子たちに別れの説教
をされ、祈られました。その祈りの中で、父なる神様にイエス様は「世から選び出してわたしに与えてくださった人々に、わたしは御名を現しました。」とおっしゃいました。私たちはこの世から選び出され、神様の子どもとされるという大きな特権と恵みに与っているのです。しかし、私たちは、現実にはクリスチャンになった後もこの世から離れて生活しているわけではありません。どっぷりとこの世の中に生きています。
 価値観、判断基準、物の見方は、この世からの影響を毎日受け続けています。そして、古い罪は、いつもいつも私たちの中で死なないで活発に働いています。もしも、私たちが、この世からの攻撃に無防備に生きていたら、すぐにキリストのものとされた恵みから離れてしまいます。
 パウロは、エフェソ書の中でこの世の霊との戦いについて、「立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。」と勧めています。どのような時も、私たちは、この世の霊に導かれるのではなく、神様の霊に導かれて、祈り、聖書のみ言葉から力と知恵を頂き、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容な心を神様からいただきながら、歩んでいきたいものです。
 この世にあって星のようにイエス様の光を反射しながら、輝きたいと願います。



毎日がクリスマス

クリスマスのお祝いをする季節がめぐってきました。
イエス様の降誕をお祝いすることがなければ、南半球のこの季節は、寒くて暗くて心も沈みがちな季節です。でもイエス・キリストを個人的に知らない人たちも、クリスマスを特別な時として、何らかの形でお祝いしています。楽しい時、嬉しい時としてお祝いしています。私たちも、本当に嬉しい時としてお祝いします。“ありがとう”が心の底からこみあげてくる喜びのお祝いです。
信仰生活を積み重ねていく程にクリスマスが身近になり、お祝いする姿勢に本当にこれが原点なのだ、という感謝と感慨が入り混じった思いに満たされます。ほんとうに、ついに、時が満ちて昔から預言されていた救いの主がお生まれになったのです。神様ご自身が私たち人間の世界に降りてきて、住んでくださったのです。神でありながら、人間の弱さや、苦しみを味わって下さいました。そればかりか、神様の方から、人間を責める代わりに、人間のすべての罪をご自分の身に引き受けて下さったのです。その大きな人類救済のご計画は、クリスマス/イエス・キリストの降誕から始まりました。その意味で、クリスマスがすべての始まりであります。
クリスマスによって、人類に光が与えられ、絶望はないことを知りました。自分でどんなにあがいても、もがいても、出口が見つからないような私たちに突破口が与えられました。神様が、私たちと共にいて下さり、私たちの罪の重荷と苦しみを肩代わりするために降りてきてくださいました。神様ご自身が私たちのところに毎日来てくださるからです。

牧師からのご挨拶

桔梗が丘ルーテル・キリスト教会に2008年4月から引っ越してまいりました。
この教会は、信徒がイエス・キリストを中心としての家族として助け合い、励まし合って教会生活を送っています。しかも、新しい人々を温かく迎えることにおいては、本当に両手を広げて歓迎しています。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」イエス・キリストは、今日あなたを呼んでおられます。


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    桔梗が丘ルーテル教会

    (近畿福音ルーテル桔梗が丘教会)
    牧師 : 屼ノ下 照光
       〈はげのした てるみつ〉

    神の栄光をたたえて生きる

    桔梗が丘ルーテル教会
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